【インタビュー】ちゅんたの想い

作者の「ちゅんた」さんはコロナ禍で失業して困窮した30代の女性です。今号ではちゅんたさんにインタビューさせて頂きました。プライバシー保護のため、内容を一部を換えています。

*せ=インタビュアー(清野)

*ち=ちゅんた

せ:ではよろしくお願いします。早速ですが出身はどちらですか?

ち:神奈川県の某市です。父は普通のサラリーマン、母は専業主婦でした。

せ:子どもの頃はどんな感じでしたか

ち:ずいぶんと漠然とした質問ですね(笑)。小さい頃は虫取りに夢中。小学校では、女子のグループみたいなのが苦手で、そうすると女子からハブにされるので主に男子と遊んでいました。中学校では卓球部をやりながら合唱コンクールでは伴奏に燃えたり、勉強に打ち込んでいました。

せ:高校時代はどうでしたか?

ち:勉強は好きだったので、地元の進学校に行きました。自転車で通えて、制服がかわいいところ(笑)。理系クラスで、受験に備えるために部活は禁止で毎日大量の宿題が出ました。学校が終わってからも図書館で勉強して遅くなって帰るという生活でした。

せ:そうですか。それで大学受験はどうでしたか?

ち:高校3年になって親と進路について話したときにはっきり言われました「ちゅんたを大学にやる金はない」

せ:えええ~!。突然ですか?

ち:いや、前からそういう空気は感じていました。弟にはゲーム機とか買ってくれるのにちゅんたがおもちゃとか洋服をねだってもだめ。

せ:男尊女卑?

ち:それもあるかもしれません。とにかく親が出してくれないなら今は行けない。だったら絶対自分の力で行ってやろうとおもって、高校を卒業してバイトを始めました。

せ:逆境に立ち向かう反発力がすごいですね。どんなバイトを?

ち:塾講師です。個別指導塾で、中学生から浪人生まで教えました。

せ:浪人生も?大学に行ってないのに?

ち:はい。他の講師はみんな大学生でしたが、私が大学に行っていないことは上の人しか知らなかったと思います。認められて、理系のリーダーにもなりました。

せ:それで浪人生にも指導を!

ち:その塾は取りこぼされてしまったような子が中心で、私も人には言えないけどある意味とりこぼされた境遇だったので共感できる部分が多くやりがいを感じていました。

でも仕事で帰る時間が遅いので、母から「うちのルールに従えないなら家から出て」と言われて、21歳で家を出されました。渋谷や青山の流行最先端の洋服屋で働きながら4年間でお金を貯めて、25歳で地方の国立大学に入学しました。

せ:その意志の強さはすごいですね。普通、そんな華やかなところで働いていたらそのまま流されてしまうのに・・大学では何を勉強したんですか?

ち:工学部で次世代蓄電池の研究をしました。

せ:おお、こちらも最先端ですね。来る日も来る日も勉強と実験?

ち:はい、成績がいいと授業料が半額免除されることもあって、勉強と研究には必死でした。でもそれだけじゃなくて、学祭の委員になってゆるキャラを作ったり、皆既日食を生で見たくて友達と中国のタクラマカン砂漠に行ったり、大学は楽しかったです。

せ:卒業後は?

ち:研究室の教授が大手企業を紹介してくれましたが、研究所はだいたい田舎なんです。大学時代から田舎はどうにも居心地が悪くて東京に戻りたかった。いろいろさがして、東京の某大学の理工学部の仕事につきました。派遣でしたが、いずれ正規雇用されるという話だったので。

せ:仕事内容は?

ち:次世代リチウム蓄電池研究の一つを任されました。

海外の論文を探して翻訳して読みといて、実験材料を仕入れて実験して結果をまとめたり、学会論文にして、それを英語に翻訳して海外に送ったり・・5年くらいやっていました。

せ:それはすごい。だから英語も得意なんですね。

ち:でもいつまでたっても正規雇用にはならなくて。

そうこうしているうちにコロナ禍で2020年春に大学が休校になって、派遣契約が打ち切りになったんです。

せ:コロナ禍での失業は営業自粛になった飲食や観光ばかりと思っていましたが、研究教育の非正規職もそうだったんですね・・・

ち:失業保険も出ましたが、すぐ次の仕事を探しました。正規雇用は見つからず派遣でPCR検査の試薬輸入会社に入りました。ファイザーやアストラゼネカなどが使っている試薬を輸入して日本の会社に卸したりする仕事です。英語の論文を顧客に紹介したり、メールでやりとりしました。時給1800円で、週4日6時間という契約。生活は苦しかったんですが、どうにか生活できてました。ところが会社が去年の秋から正社員を入れたので派遣の仕事が半減したんです。

せ:いいように使われちゃったんですね。ひどい・・・

ち:収入は激減して家賃を払ったら終わり。体調も悪いから他の仕事も入れられなくて、そんなときにアパート契約の更新と家電を買い換える費用などが重なって、それなりにあった貯金が千円にまで減りました。

わらにもすがる思いで地元の福祉事務所で相談しました。でも、出てきた相談係の女性がいきなり「あーら、大変なの?どうしたの?」って聞くんです。子供にいうような猫なで声で「今、何に困ってるのかな~~?」って。「ここは無理。大人として扱われてない」と思って出ました。

せ:本人は優しく接したつもりだったんですかねえ。相談者に対する人としての敬意が欠けていると思います。

ち:どうにかしなきゃ、と思って板橋区のお寺でやっているフードパントリーで相談しました。そこでてのはしのことを聞いて、12月のおわりにあった火曜日(最終火曜日のお弁当配布)に行ったんです。

せ:そうでしたね。配り終わって帰ろうかという頃にいきなり自転車が倒れる音がして、駆け寄ったら、ちゅんたさんでした。

ち:すごく迷ったんです。たどり着いた頃は疲れ果てていました。でもそこで話を聞いてもらって、お弁当の代わりにコンビニのスープとグラタンをもらって、それで寒さをしのげました。

せ:よかったです。次に年末年始の炊き出しにいらしたんですよね。
ち:はい、体調が悪くてなかなか行けなかったんですが、大晦日の日に初めていきました。ものすごくたくさんの人が並んでいて、暗くて寒くて、もう帰ろうかと思いました。でも女性のスタッフがいたので「どこに並べばいいんですか」と聞いたら「ここで待っていてください。順番は最後になりますけどお弁当をお渡しします」って言ってくれて。それでお弁当をもらえました。

そこでもらったチラシをみて他の団体にも行きました。セカンドハーベストで食糧をもらって、社会福祉協議会で緊急小口資金の貸付を受けられたので「あ、これで生きていける」と思いました。

せ:ハードな綱渡りでしたね。

ち:はい、でも支援を受けながら「もっと大変な人がいる、自分なんか支援を受ける資格はない」とも思っていました。こうなったのは自分が悪い、このまま消えた方がいいと・・・

せ:1月はお互いによくそんな話をしていましたね。静かに消えるにはどうしたらいいか、とか、でも消える前に必ず連絡してくださいとか・・

ち:派遣の仕事は2月末で雇い止めになりました。経済的にも精神的にもギリギリで、節約するためには炊き出しにいかなきゃ、と思って行ってみたんですが、やっぱり怖くて1回目は並ぶこともできずに帰りました。次は並んでみたけど、途中でやっぱり無理と思って帰りました。でも、そんな私を心配してくれた支援者のみなさんが連絡してくれたり、食糧を届けてくれました。

それで、「私にもなにかできないかな」と考えたんです。炊き出しでお弁当以外に老若男女問わず喜んでもらえるものは何かなと考えて、かわいいメッセージカードを思いつきました。大学で学祭委員をやっていたので、そういうのを作るのは得意なんです。清野さんに提案して、何パターンか作ってみて「Chuntaの気まぐれ通信」になりました。

せ:2月に第一号ができて、それからはほぼ毎回炊き出しで配っています。ちゅんたさんのメッセージ、支援情報や季節の便りが優しい色彩で表現されて、とても人気があります。並んだ女性から「とても癒やされました」と言われたり、医療班のスタッフにファンがたくさんいるとか。いつもどんなことを心がけて作っているんですか?

ち:辛い思いを抱えた人が軽く「へー」と思える話題を載せて、ちょっと元気になってくれたらいいと思っています。うつむいている人に「星を見上げてみませんか。惑星が並んでますよ」とか、暑さが辛い夏には「夏を乗り越えるには百均でも買える梅干し!」みたいな(笑)。

次のChunta通信には「夏休みの思い出」も考えたんですが、夏休みはいい思い出がない人もいるだろうと思ってやめにしました。「熱中症予防にエアコンを使いましょう」というのも、エアコンがない人もいるだろうからやめました。誰もが共感できて、明るい気持ちになれる内容を探して作成しています。それと、いろいろな色を使ってワクワク感を出すようにしています。

せ:公園案内係と、並ぶのが難しい人コーナーもちゅんたさんの提案からでした。

ち:私みたいに初めて炊き出しに来た人が安心できるようにしたいなと思ったんです。

せ:私もちゅんたさんに言われて暗い炊き出しの列に並んでみて、女性がここで1人でいたら怖いだろうと思いました。ちゅんたさんの提案をスタッフと相談して決めたのが2つ。

1 公園の入り口に案内係を置いて、初めての人にはちゅんたさんが作ってくれた案内チラシをお渡しする。

2 「並ぶのが難かしい人コーナー」を作って、並ぶのが怖かったり身体的につらい人が並ばなくてもお弁当を受け取れるようにする。

どちらも、てのはしの炊き出しでは画期的なことです。

ち:私のイメージでは、てのはしは新聞紙なんです。

せ:新聞紙?面白いこと言いますね(笑)。じゃあ、何がいいんですか?上質紙?・・

ちゅんたさんの提案で新聞紙もだんだん向上してきたので、これから上質紙になれるようによろしくお願いします。

ところで、体調は良くなりましたか?

ち:なっていないんです。

せ:あらら。どんな感じですか?

ち:経験が生かせそうな仕事に幾つも応募しましたが、物価高で応募者も増えているようでなかなか受かりません。今は在宅でエクセルやパワーポイントの研修を受けています。でも、将来も見えないし、頭痛やだるさが続いています。

せ:そうですか・・・頭痛やだるさというのはいつ頃からですか?

ち:子どもの頃からです。それが悪化しています。

せ:え? そんな前から?

ち:はい。大学に行かせてもらえなかった話をしましたが、うちの母親は昔から理不尽で、自分の考えが絶対なんです。いつも叱られていました。私はしょっちゅう転ぶんですが、そのたびに怒られて、テストで96点とっても「なんで100点じゃないの!」って怒られて。

せ:それはひどいというか、大変というか・・お母さんとはいつもケンカ?

ち:とんでもない。母の言うことにはすべて「はい」。私に反抗期はなかったです。      「普通」と「ちゃんと」という言葉が大嫌いです。

人間はミスして当たり前なのに褒められるには100%できることが求められました。「私は叱られるために生まれてきたのかな」「100%できない自分はいらない。早く死ねないかな」と子どもの頃から思っていました。

大人になってからはメンタルの病院にも通って、2年くらい前に発達障害の診断を受けました。能力のでこぼこが激しくて、勉強はできるんですけど、生活面で苦労することが多いんです。

せ:障害があるという診断を受けてどう思いましたか?イヤだったか、安心したか・・

ち:やっぱりそうだろうなと思いました。今までの生きづらさを考えたらわかるじゃないですか。それを否定したりいやがっても仕方ないですから。

せ:すごいポジティブ!  でも、お母さんはどう感じられたんでしょう?

ち:障害は遺伝的な部分もあると話したことがあります。でもそれを話したら「もう今後一切そういう言葉は使わないで!」と言われました。

ましてや、いま支援を受けていることは絶対に言えません。もし知られたら罵倒されるか、縁を切られると思います。

せ:つらさは現在進行形なんですね。

ち:はい、十二単(じゅうにひとえ)なんです。

せ:え?それはどういうことですか?

ち:以前、家を出されてアパレル店員になったとき、 「どんな服でも着こなしてやる!」って気合いを入れて働いたんです。今も、さまざまな困難が積み上がって、まるで重たい十二単を着ているよう。でも「泣いてもわめいても解決しないなら、この十二単を着こなしてやる!」という気持ちでいます。

せ:やっぱりすごい。今日は辛いこともたくさんお話しくださってありがとうございました。てのはしに貢献してくださっていることに感謝するとともに、この厳しい境遇をたぐいまれな反発力で生き抜いていらっしゃることを尊敬しています。

ち:ありがとうございます。十二単は重いけれど、裾を支援者の皆さんが持ってくださるのでまだ歩けています。いつか脱げるときがきたらまたお手伝いいただきたいです。

「Chuntaの気まぐれ通信」は、苦しさがわかる私だから届けられることを、並んでいる皆さんに「自分は並べないのに、本当にがんばって並ばれていますね」という尊敬の気持ち、スタッフのみなさんへの感謝の気持ちを込めて作っています。これからもよろしくお願いします。

せ:こちらこそ、よろしくお願いします。

*ちなみに、ペンネームの「ちゅんた」は学生時代に一緒に暮らしたハムスターだそうです。画像は本人提供

この記事を書いた人

清野 賢司

代表理事、事務局長。
中学校社会科教諭を2017年3月に退職後、TENOHASIの専従に。
2019年より精神保健福祉士。