TENOHASIのボランティア有志がこの三連休、トラックに炊き出し機材を積んで千葉の台風被災地(南房総の鋸南町)支援に参加しました。現地からの報告です。
チームTENOHASI 千葉被災地炊き出しレポート
いつも池袋で炊き出しをご一緒させていただいているテノハシの大塚さん(今回のボランティアリーダー)おきくさん(調理担当)ジローさん(炊飯担当)と一緒に9月15日(日)の夕方、100食分の豚汁とご飯を炊きだしました。私は出がけに寸胴鍋のピックアップをしただけなので漫画でレポートします。
手伝ってくれた国際学生ボランティア組織イビューサの方々のご協力もあり、日が暮れかけると住人の方々が集まってきました。池袋では150人以上並ぶ光景が当たり前なので、何か人数が少ないな…と思ったらそれもそのはず。持ってきたお鍋に家族の人数分を入れて帰るわけです。最大は6人分というお鍋の人も。そのお家は最後にシートを張った家で、家の中はずぶ濡れの荒れ放題、土足のまま出入りしているような状態ででした。
日が暮れると知的障碍のある子を連れたお母さんやカタコトの外国の人、片足が不自由で少しずつしか歩けないお父さんも鍋やタッパを手にやって来ました。きっとみんな他の人よりも大変な日を過ごされてきた人たちだったと思うのです。最初の日の朝、岩井袋に着いて最初に話した人がこの足の不自由なお父さんでした。屋根を直す人がいない、と言われたのですが、私にはどうすることもできません。「もうじき私の仲間が来ます」と言って励ますしかありませんでした。そのお父さんの家も雨の前に無事シートが貼られたそうで、嬉しそうでした。
足が不自由なうえ、鍋とご飯と水羊羹(住人の方が作ったのです!)を持って暗い道をとぼとぼ帰るのはあんまりなのでお家までご一緒しました。家は道路から数段の階段を降りねばならず、座りこんでしまい、立ち上がろうとしてよろけました。なんとか身体を支えて下まで降り、無事に家に着くと、上半身裸でよく似た顔の息子さんが。きっと一日頑張ってる息子をねぎらい、遠い道を自分が行ってくると家を出たのでしょう。
私はCM制作会社の下っ端の頃、よくロケで豚汁の炊き出しをしました。それは予算がない仕事の時に、安い弁当で我慢しろではなくせめて温かいものを一杯という気持ちを持てとスタッフや上司から教えられました。そこには相手を思いやる気持ちが込められていたのだと思います。炊き出しは施しものではありません。あなたのことをちゃんと大切に思っていますという意思表示なのだと思います。いつか災害に見舞われ自分が炊き出しに並ぶこともあるかもしれません。その時、きっとそれを実感するのだろうと思うわけです。
余ったごはんはお菊…じゃなくておきくさんがわざわざ用意した2種類の塩で塩結びにしてラップし、それを大塚リーダーがすっかり暗くなった家々を回って配ってきました。TENOHASI、素晴らしいグループです。ご興味のある方は検索してみてください。(スペルはこれで正しいのです)