7/13(土)炊き出しブログ

今日も池袋の公園でおじさんやスタッフの方々と楽しくお話しし、温かい夜ご飯を一緒にいただきました。

   (↑普段食べないようなお米の量。食べやすくて全部おいしくいただきます)


炊き出しの時間は、普段なにかに追われるようにして頑張る生活を送っている私にとって、なんとなくリラックスできて心が明るくなる時間です。おじさんたちにとっても、私にとっても、温かいごはんを人と一緒に食べる体験は、意外と大きな心のよりどころになったりするのではないでしょうか。

「何でボランティアに来たの?」 大学生のボランティアといえばゼミ活動の一環で来る方が多い中、1人さみしく少し勇気をだして公園に来る私は、そうよく聞かれます。(私は看護を専攻している大学生です)

特に高い志があるわけではない私は、今日も「んー、参加して楽しかったので…暇つぶしです。」と答えました。ここで書いていいのか分かりませんが、実際、そんな感覚です。

そんな中、なんと今日は「暇つぶし」以上の幸せをゲットしました。片付ける場所に移動する時、生まれて初めてトラックに乗せてもらったのです! 長年の夢があっけなく叶ってしまいました。

今考えると、こんなふうにして、自分より2倍も3倍も年上のスタッフさんやおじさんたちに可愛がっていただけるのが楽しくて、てのはしのリピーターになりつつあるのかもしれません。

少し前までは、ボランティアをする人の気持ちが全然わかりませんでした。高校にもボランティア部がありましたが、当時は「え、なんでなんで? なんでやる人いるの?笑」くらいの浅はかなJKでした。

でもこうして公園に足を運ぶと、たいそうなことはしていないのに、このように皆さんとの楽しいひとときが過ごせます。ありきたりで恥ずかしいですが、何かを与えたときには必ず受け取るものがある、と看護学生をしていても最近実感します。(まだ何も与えられるものはありませんが。)てのはしは、小さなギブとテイクが張り巡らされて、おじさんたち・スタッフさん・ボランティアみんながゆるやかに支えられているコミュニティなのかもしれません。(もちろん、小さくないギブをしてらっしゃるスタッフさんもたくさんいらっしゃいます。)

(↑今日は卒業以来会っていなかった高校同期とボランティアとして再会しました! 炊き出しは出会いの場(!?)でもあります。)


もう少し、ブログを書くにあたって、最初に私がてのはしに流れついたきっかけを考えてみました。

になって振り返ると、原点には私が昔から最も関心をよせていたことがありました。


それは、「ホームレスネス(homelessness)」。”home” がない、という状態のことです。「ただいま」と言える場所のないこと。安全で安心して眠れる場所のないこと。温かい食卓のないこと。腰をおちつけ肩の力を抜ける場所のないこと。安らぎを知らないこと。守り守られる人のいないこと。どうでもいい会話をする相手のいないこと。ここに居ていいのかなと不安になること。ここには居られないと苦しくなること。つまり、「居場所」がないということ。


こう考えると、意外と多くのみなさん自身の中にもチクッとする思い出があったりするのではないでしょうか。私もこうした経験があります。だからこそ、私はおじさんたちにちょっとした仲間意識を感じて、一緒に時を過ごすのかもしれません。


これからも、”home” への入り口である炊き出しで、みなさんと一緒に温かな体験を重ねながら少しずつおじさんたちの人生に触れられたら、と思っています。

さて、次回の炊き出しで、私はまた1つ楽しみにしていることがあります。それは、調理班として大きな鍋で野菜スープを作ることです。どうやら小学校の給食室にあったような大きな鍋があるようなので、ぐるぐるかき回してみたいです。野菜を切るのも修行だと思ってがんばります!

(木田塔子)

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