迷子になる高齢者

みなさま
今日は、そんなエピソードをご紹介します。

某市で、駅でしゃがみこんでいら高齢男性に声をかけたことがありました。
最初は、非常に警戒をされていて、いい、いらん、ムシという感じでした。
駅員さんに相談したところ、駅員さんも声はかけていたようで、「言ってもどいてくれない」ということでした。
いや、どいてくれない、ということじゃなくて。。。

しかたないので、帽子を誉めてみたり、かっこいい時計ですねと雑談1時間半
ちょっと話をしてくれたかと思うとまた無視
私もこころが折れますねえ

ひとまず、遠いけれども、池袋の炊き出しに来てもらって、支援仲間とも一緒に相談するしかないのかなと思い、炊き出しの案内を渡して、また、お会いしましょうと立ち去ろうとしたところ、
「もういっちゃうの?」と、初めて目があいました。

えっ、さんざん無視されたような気もしていたので、その目を見て核心しました。迷子だ。

そういうわけで、もう30分間雑談をした後で、家を聞いてみると、わからない。連絡先もなし。しかし、何駅に行かなきゃいけないという単語は知っていた。
どうやら、どちらのホームに降りたらいいのかわからなくなっていたようでした。
駅は複雑ですねえ

駅までつくと、自分の家の住所の〇〇町は何とかわかるようで、家のそばに行けば道案内ができるということなので、タクシーの運転手さんに相談して家まで同行。運転手さんもやる気になっていましたね。

家に着いたら
なんと、3日間失踪していたということでした。
こうして野宿化している人、きっといるよなと思いました。

別の日は、80を超えた女性高齢者
もちろん最初は、警戒されるのですが、警戒されても人助け、とあれ以来覚悟が決まったので、「いい」、「大丈夫」、「迎えに来るから」と言われても、本当にそうなのかが確認できるまでは、しつこく情報を聞きます。こころなど絶対に折れるものか!。勘違いだったとしても、助けられなくて死んじゃうよりはずっといい!と。折れているこころに鞭をうち。
この人を死なせないということが目標なので、本人の「大丈夫」は信じません。私たちが大丈夫と思えるかどうか。

「わるいから」「人に迷惑をかけたくないから」との言葉。
ますます何かある。にちがいない。
ということで、突然親切を押し売る怪しさいっぱいの私たちは、私たちが怪しくないことを一生懸命アピールすべく、雑談を交えながら話をしました。マスマス怪しい。。。

そうすると、どうやら、千葉~某市へ帰る途中。生活保護受給、単身高齢者ということがわかりました。家族なし。しかし、お金を全部落とした。
警察に届けたかときくと、「今は、警察はお金を貸してくれない」とのこと。
それで、放っておくと、受給日まで9日間、お金なし。

どうも、今晩は歩いて夜を過ごす予定だったそうです。
おなかがすいてふらふらしていまいsた。
顔を見ると、大きな痣が。夜道を歩いてぶつかったそうです。

かばんの中からいろいろなものを見つけ出し、連絡先の入った紙。そこに電話をしたところ、何かの関係で助けてくれる人のようでした。
某駅まで行ければ、しばらく家で面倒を見てくれるそうで。
おお、よかった。。。

ということで、お金をお貸しして、さようならと思いましたが、ここは80代。某駅まで行けるという言葉を信じることをやめて、どうやって行きますか?と聞くと、わからない、とのこと。。。
夜中の12時近く。
ということで、某駅まで約40分お供致しました。

新宿乗り換えだったのですが、乗り換えが難しい。。。
これは帰れんわあ。と思いました。
この方「むずかしい、むずかしい」と連呼していました。
それにしても小さなからだで頑張っている姿、うちのばあちゃんにしようかと思いましたが、そんな小さな体の、単身高齢者。雑念を捨てて目的地へ。
某市にお連れしたところ、援助をしている方と改札で出会えまして、お別れしました。

ああ、
他にも。。。。いろいろな方のエピソードが。

私たちの支援は、こんなこともそんなに少なくないです。

認知症→野宿→福祉事務所へ行くと「なぜ失踪したの!」とお怒りモード→ご本人は、うん、はい、、申しません。それで詳しく聞くと、前にどこにいたか覚えていない。。。

しかし、私たちの社会は、どこへ向かっていくのでしょうねえ。

あ、でも、だから、こうした方は支援の輪を広げて、そこにお金を投じて、その範囲内で生活をというのは、どうかなと思います。
「警察が最近はお金を貸してくれない」と言っていたけれども、そういう社会になると、高齢者はますます家に閉じこもってしまう。
新宿駅はものすごく難しく、社会そのものが複雑すぎるからだなあと

しかし、そんな社会の中でも、安心して出歩けるためには、
困った時にすぐに助けが求められる、
困った人がいたら助ける人がたくさんいる、

そういう社会だったとしたら、
安心して、家に閉じこもらなくてもいいのだろうなと思いました。
新宿の駅、もう少し、気軽に迷子になれる仕組み、相談員さんがわかりやすいところにいるとか、になるといいかもなあ。

私たちのような活動が特別なのではなく、こうした特別な支援活動など必要のない、こうした助け合える社会にならないかなあと。

どうなったらいいでしょうか

森川すいめい

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