「いいです、大丈夫ですから」

 今日はおにぎり隊&夜回り。今夜も、たくさんの人が来てくれました。
 おにぎりを配り終えて、しばらく情報交換(雑談とも言う)をしたあと、いつも通り3方向に分かれて夜回りを開始しました。一番人数の多い池袋駅構内(駅ナカ)を回ると・・・
 先々週、ダニやシラミでお困りだった方。その次の炊き出しの時に新しい衣類をお渡しし、先週はおにぎり配りの時に元気にみんなを仕切ってくれていたのですが、今週は疲れ果てていました。「先週は元気だったじゃないですか「ありゃ空元気だよ。空元気でも出さなきゃやってられっか」。食物が喉を通らず、食べても吐いてしまう。どんどんやせてきた、自衛隊にいた頃は60キロあった体重が今は30キロ台・・。問わず語りで話してくださいました。病院に行きましょう、と提案しても「行く気はない」。そうおっしゃる背景には、きっと私の想像を絶する様々な思いがあるのでしょう。
 いろいろな方のところで話し込んだので、1時間近くたっても夜回り開始地点から50mも進めません。駅構内をくまなく回るために二手に分かれようとした矢先、「あの人が足にけがをしているから見てやってくれ」とある路上生活の方から言われました。見ると、地下鉄の電話コーナーの脇でうずくまっている人が。近寄ってみると、右足には膿のしみ出たタオルを巻いて、右足小指付近にはぱっくり傷口が開いていました。左足もかなりむくんでいます。看護師の卵Sさんの診立てでは、足のけがに加えて体に水がたまっており、水がたまるのは足のけがが原因ではなくく内科的な原因があると考えられるそうです。「病院に行きましょう」と言っても目を合わせてくれず「いいです。大丈夫ですから」の一点張り。せめて傷口の消毒を、と思いましたが、飲み薬しか持ち合わせがありません。それに、それは医療行為になるのでしてはいけないのだそうです(誤解があったら誰か訂正してください)。ご本人がいいとおっしゃる以上、それ以上は何もできません。3日後の炊き出しの時に医療相談があるからぜひ来てください、と話して立ち去ろうとしたときに、JRのガードマンから「ここは駄目ですよ。ほかにいって」と追い立てを食って、その方は痛む足を引きずりながら移動されていきました。
 おふたりとも、もし自分だったら、びっくりして即病院に駆け込むだろうと思う症状です。住所と仕事があり、家族がある人ならば即入院でしょう。それなのになぜ病院行きを拒否されるのか。路上生活であることで過去に病院で辛い目に合われたのか、鬱がひどくて病院という煩わしい場所に行く気力が出ないのか、それとも名前を聞かれるような場所に行きたくない事情があるのか、ご本人のキャラクターによるものか、私にはわかりません。
 でも、とにかく、ひとたび路上生活に入ると、それまで普通に利用できていた行政・医療サービスが経済的にも心理的にもとてつもなくハードルが高いものになってしまうということが私にもわかってきました。
 どうしてか?たとえば鬱病で働けない人はたくさんいます。住所があって保険証があり、支えてくれる人が居れば、休職して通院または入院し傷病手当金を受けて回復を期すことができます。でも、同じ症状の人がひとたびそれらを失って路上に出てたら、その瞬間にその人は社会の「邪魔者」とされ、当たり前の人権が保障されない別の身分にされてしまうのです。江戸時代に、人別帳から外れた人が「無宿者」に落とされて差別されたように。ついこの前まで働いていて税金も社会保険も払っていた人でも、「税金を食いつぶす厄介者」とみなされて、ろくな治療も受けられずに、冷たい言葉を投げつけられて放り出されるという例があとを絶ちません。
 そのような社会の眼が、路上生活当事者に大きな心理的圧迫を加えて、「ホームレス」になった自分を恥じたり病院で屈辱的な扱いを受けることとを拒否する心理から、病院に行くことを拒み、悪化させて取り返しのつかない状態にしてしまう悪循環を生み出しているように感じます。
 不安定でストレスフルなこの社会では、誰でも失業・家庭崩壊・鬱病などの可能性があります。もしそこにはまって、路上に放り出されれば、待っているのはこんな世界。これが私たちの社会。

 by せ
 
 

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