「炊き出しボランティア日記~コロナ禍で1年以上、配食最後尾看板を続けて~」

これを読んでいるあなた、ぜひ一度、TENOHASI の炊き出しに参加してみてください。僕らよりも遥かにギリギリの世界で生きている、いろいろなおじちゃん達と接してください。炊き出し全体を俯瞰して見ていて、労いの言葉をかけてくれるおじちゃんもいます。「ありがとう」と感謝を伝えてくれるおじちゃんもいます。そして時には、おじちゃんに暴言を吐かれて、無茶苦茶な要求をされて、支離滅裂な主張を受けて、困惑や憤慨してください。そうしたら晴れて、おじちゃん達との一歩を踏み出しました。おめでとうございます。これからおじちゃん達と共に歩んでいきましょう。

炊き出しを続けて気づいたことなのですが、僕らがおじちゃん達を見ている(支援している)つもりでいますが、僕らがおじちゃん達に、支援者として相応しいかどうか、常に見られている(ジャッジされている)のです。多くのおじちゃん達はジッと黙って、僕らのことを信用できる人間かどうか、観察しています。炊き出しを続けて、時にはおじちゃん達と衝突して言い合いになりながら、ぜひ、おじちゃん達からの信頼を勝ち取ってください。ちなみに最近、僕は一部のおじちゃん達から、名前にちなんだあだ名を付けられ始めました。僕を炊き出しメンバーとして認めてくれた表れだと思い、嬉しく思っています。

また、おじちゃん達のほんの一部ですが、僕が先に名札を見せて名前を名乗り、おじちゃん達の名前を教えてもらっています。いろいろなおじちゃん達がいるので、僕に好意的なおじちゃん達に限定されています。そして、名前を教えてもらったら、できるだけそのおじちゃんの名前で呼ぶのです。名前のわからないかたへの声掛けは、「おじちゃん」、「お父さん」、「お兄さん」などと呼ぶしかないのですが、名前で呼ぶと関係性が変わってきて、更に良好な関係になり、炊き出しに協力してくれるようになります。

今、社会全体はどんどんホームレスを、不可視化しようとしているように感じます。社会全体が数字上でホームレスをゼロにしようとするのではなく、不幸な状況が重なってホームレス状態になってしまっても、誰もが安心していられる社会に、仮にそういう状態になってしまっても、直ぐに抜け出せる社会になって欲しいです。社会構造がこういう状態なので、完全になくすなんて不可能に近く、ましてや不可視化して、「見て見ぬ振り」、「臭いものに蓋」とか、僕はまっぴら御免です。多くのホームレスは、そもそも生い立ちから恵まれた状態になかったり、なんとか生きていたけど立て続けに不幸が重なってそうなってしまったり、家族関係が悪く他に友人知人などで頼れる相手がいなかったり、おじちゃん達と接していると、なんらかの障害を抱えていると思われるおじちゃんもかなりいます。

炊き出しに関して、必要な要素の一つが継続性だと感じており、それぞれの人生の中で不幸が起き傷ついている人達へ、一貫した炊き出しを提供して信頼関係を築き、根気強く接していくことかと思っています。社会全体の意識や心が解放されないと、本当の意味でホームレスの置かれている、状況改善は難しいと感じます。だから、まず炊き出しに参加してみてください。生身のおじちゃん達と接して、いろいろ感じてください。おじちゃん達の声なき声に耳を傾けてください。普段、あなたが遠目に眺めていた、どこかの街のホームレスにも、顔と名前があり、それぞれ個性があり、その人固有の人生があります。そこからなにか思うことや、考えることがあるかもしれません。TENOHASI の炊き出しでお待ちしております。

※最後に、この文章内で「おじちゃん」という言葉が多用されておりますが、ホームレスは「おじちゃん」と呼ばれる年齢層の男性が圧倒的に多いだけで、女性のかたや若いかた、中には性的少数者や外国人と思われるかたもいらっしゃいます。ただ、日本社会から最後まで取り残されやすいのが「おじちゃん」達だと個人的には強く感じており、その為「おじちゃん」という言葉を多用しています。また、女性のかたや若いかた、直前まで仕事をされていたかたなどは、支援の手も直ぐに入り、救済されていくケースが多く、数回で炊き出しに来なくなることも多いです。最後まで光が当たりづらい「おじちゃん」達を中心に書きました。そんな、「おじちゃん」達に思いを馳せて読んでくださったら幸いです。

ボランティアスタッフ・みつや

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