炊き出し&夜回りボランティア日記


 コロナ不況の中で生活苦から路上生活へ転落する人が増えているという報道に接し、自分にも何かできることはないだろうかと考えておりました。辿りついた結論がTENOHASIさんの活動へ参加することでした。
 もともと私は、路上生活の方に関心がありました。非正規雇用で不安定な経済状況に身を置いた経験もあり、街中で目にする彼らに対し、他人事とは思えないような、何とも言えない感覚を持っていたからです。
 初めてTENOHASIさんの活動へ参加させて頂いたのは、月2回実施されている炊き出しでした。その日は悪天候にも関わらず、多数の路上生活者が足を運びました。スタッフとして参加された方は皆、真摯に自分の作業に取り組んでいました。彼らの一生懸命動き回っている姿を見て、ふと仕事でもしているようだと思ったのですが、実際は仕事でないからこそ一生懸命になれるのだと思い直したのです。
 仕事として取り組むのであれば、お金のために働くというのが普通だと思いますが、お金を稼ぎたいという動機で働いていると、報酬の多寡によって、頑張ったり手を抜いたりするということが出てきてしまいます。わが身を省みても思い当たることがたくさんありました。しかし、内発的な動機で動くのであれば、お金は関係ありません。一生懸命になって、何かに取り組んでいる人を見るたび、自分もそのようになれたらいいなと思っておりました。活動への参加は、そのヒントを与えてくれたように思います。
 夜回り活動にも参加させて頂きました。炊き出しに比べると、公園まで足を運ぶ路上生活者は少なく、また、ボランティアも多くはありませんでした。とはいえ、平日の21時過ぎ、しかも、冬場に差し掛かり気温も随分と下がってきている中、30人近くの方が列を成しました。この光景を目にし、食べ物を提供する活動には、旺盛な需要があるのだと感じました。炊き出しに足を運んでいた方の姿も散見されたことから、TENOHASIさんの活動は、池袋で路上生活をしている方によく知られているのだと思いました。その後、各グループに分かれ駅周辺を巡ったのですが、古参のボランティアさんが、路上生活者と思われる方に声をかけていく様子が、とても自然であったことに驚きました。自分とは境遇の違う方に、いともたやすく自然な声掛けをするというのは、なかなかできることではない。そう思う一方で、自分自身、無意識のうちに路上生活の方々を区別していることに気づかされました。路上生活の人は自分とは違う。そのような感覚があったのかもしれません。いずれにせよ、夜回りへの参加は自分にとってとても収穫の多いものでした。社会の抱える問題を知ることができる一方、自分自身についても気づかされることがあったからです。
 炊き出しと夜回りと、そのどちらにも参加したことは、自分にとってとても大きなことでした。ひとつの物事を違った角度から見ることで、物事が立体的に見えたからです。一方、多少の知識を得たことで、自分がこの問題について、いかに無知であったのかを思い知らされたような感じもしました。
TENOHASIさんの活動に引き続き参加させて頂きたいと思います。できれば、これまでに参加したことのない活動にも参加することで、よりこの問題についての理解を深めていきたいと思いました。  ~HK~
                          

 

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