今回、初めて炊き出しのボランティア(調理班のみ)に参加しました。
高校生の息子がネットでこの活動を探してきて、土曜日だったので家族四人で参加することにしました。
言葉では知っていても、「炊き出し」の実態についてはほぼ何も知らない状態での参加でした。
窯で炊くお米の量は40キロ。野菜数十キロ。
これで150人分以上の食事を提供できるとのこと。
調理班のメンバーは20人ちょっと。
集合時間に集まった人たちは年齢も職業もばらばらで、毎回のように参加している人もいれば、私たちのように初参加の人もいました。
暑いから冷たいお茶はいつでも飲んでもらってかまわないし、休みたい時は好きに休んでもらっていいですよ、とゆるい感じで始まりましたが。。。
初参加の私たちは、「切る係」に配属されました。
まずは次々と台の上に載せられる大きなにんじんを切っていきます。
高校生の息子二人は家庭科の授業で包丁を持った程度で、家では食事の支度などしません。
ですがそんなことに関係なく、今は目の前のにんじんを掴んで切っていくしかありません。
ぎこちない手つきで、周りの人を真似ながらなんとか切っていきます。
親の私たちも同様です。周りの人を見ながら、黙々とひたすら切り続けました。
和気あいあいと話しながら作業をする人もいましたが、私たちは切るのが精いっぱいで、余裕のない表情で黙って切り続けました。なかなか暗い感じの家族です。
それにしても、ものすごい量の野菜でした。永遠に終わらないのではないかと思いました。
にんじん、玉ねぎ、キャベツ、白菜。基本的にどれも巨大で、玉ねぎはものすごく涙が出ました。子供たちはまったく耐性がないのか、やり方がまずいのか、猫背すぎるのか、周りの人たちの数倍の涙を流しながら切り続けていました。
午前中働いただけで、昼食のそーめんをいただく頃にはもう疲れ果てていました。下の息子は座ったまま眠っていましたし、私もへとへとで体力もほとんど残っていませんでした。
ですが調理班の仕事をすべて終えた後、多くの人が配食の作業に移動するようでした。
自分よりも年配の方もまだまだ余裕があるようです。
そんな光景に驚くとともに、自分の体力のなさを嘆きました。
遠方から参加している人も多いみたいで、片づけを終えて帰宅する頃には夜もかなり遅くなったはずです。
窯の係の人たちは真夏の暑さの中、火の傍で大粒の汗をダラダラと流しながらも、爽快な顔で作業を続けていました。
丸一日を無給で提供し、これだけ大変な作業を何でもないような顔でこなしていく人たち。
何か強い思いに突き動かされない限り、そんなことは不可能なんじゃないかと思いました。
でもそこに深刻さや使命感といった重い印象はなく、どちらかと言えば自分が好きでやっている、楽しんでやっているというふうに私には見えました。
でもこれは配食にも参加していれば、また違った印象を持ったと思います。
野菜を切っている時に、芯をそぎ落とさないとうまく噛めない人もいるから、と教えてもらったとき、私ははっとしました。
目の前の野菜を切るのに精いっぱいで、この食事を食べる人の立場や状況を考える余裕もなかったからです。
炊き出しはこういう人たちに支えられているのだと知ることができただけでも、この日は大きな収穫となりました。
子供たちも包丁のスキルを上げただけでなく、彼らなりにいろいろと考えさせられたと思います。
配食にもまたいずれ機会があれば参加しようと思っていたのですが(やや先延ばし気味)、私が現場にシャツを忘れてきてしまったため、次回の配食に参加することが決まりました。
山下友弘