6/22(土)炊き出しボランティア日記

私はどっぷり昭和の人間です。
日本の景気が良い時代に教育を受け、明日への心配など皆無な時代に社会人になり、タクシー券をバンバン切って、「疲れがタモレば、ユンケルだ!」と栄養ドリンクを飲んで仕事をしていました。
当時の栄養ドリンクは、疲労回復とか病中病後の栄養補給というよりも、深夜まで働いて朝まで飲んでガツンと目を覚ますためのカンフルのようなものでした。
ですから、この手の製品CMで「24時間働けますか♪」と歌われても、だれも不思議に思わなかった。
ブラックじゃ~ん。コンビニ・オーナーかよ。なんて、ほんと、だれひとり、思わなかったのです。そういう時代です。
この世の中に「貧困」があると気づいたのは、いつだったのでしょう。
バブルがはじけて、その余波が庶民の生活に沁み込んできた1990年代半ばかもしれません。
街、とくに人で賑わう繁華街の路地や駅構内の死角、河川敷の高架下、公園の植栽……そこで生活をする人々が、日常的な(?)すがたとして「存在」するようになりました。
でも、木や鉄でできた家に暮らす市井(しせい)の者は、もちろん私も含めて、調子に乗っていた時代の高揚感が忘れられず、いつかどうにかなるだろう、と、彼らの存在を無視、意識の外に排除しました。

大人は子どもに「近づいちゃいけない」と囁き、友人と連れ立って歩けば気づかないふりをして会話を続け、気づいてしまったら息を殺して通りすぎる。そういう処世術で、私たちは、じわじわ、じわじわと「差別」を育てていったのです。

TENOHASIの活動を知ったのは友人のSNS投稿からでした。池袋で月2回の炊き出し、週1回の夜回りをしていると知りました。ホームページから炊き出しのお手伝いを申し込みました。過去にすれ違った路上の人々に対して、なにもしてこなかった自分を免罪する気持ちが、なかったといえば嘘になります。

その日、具体的にどんな活動をしたのかは、他の方々も詳しく書いておられるので割愛します。
印象に残ったことは、一緒にお手伝いをしたOさんとSさんです。ふたりは路上から抜け出したひとです。路上から今のアパート暮らしに移るまでの経緯や自身の出身地のことを、あけすけに語るOさんに反してSさんはそうしたことはほとんど話しませんでした。
調理のあいまの休憩時間、ごく一般的な会話として世の中の景気が云々と話していたとき、Sさんがぽつりと「オリンピックが終わればみんなもとに戻りますよ」とつぶやきました。私はなぜかドキッとしました。なぜドキッとしたのか、最初はわかりませんでした。
「オリンピックに早く終わってほしいんですか?」と私が聞くと、別の方が「それは、オリンピックのせいで、ずいぶん排除されていますからね」と答えてくれました。
自分の心臓がドキドキした理由は、たぶんふたつ。
私は今もまだ排除する側の意識をもっているという不安、Sさんの心が今も路上にあるのではないかという懸念。
わかりにくいかもしれませんね。すみません。

炊き出しをする公園に行くと雨の中、早くも100人くらいの方々が行列をつくって待ってくださっていました。コーヒーを配ると3回も4回も列に並びなおして、おかわりをしてくださる方がおられました。砂糖の入ったあまいコーヒーを「最高」と飲んでくださいました。
表情がどんどん溶けていくようで、嬉しくなりました。
ムスリムの教会の方が持ち込んでくださった本格的なカレーと私たちが準備したあたたかいごはん、野菜の塩もみで、おなかを満たしていただきました。満ちたのかどうかわかりませんが。
食後の一服をたのしむひと、パック詰めをしたごはんを手持ちの袋にしまい直すひと、健康相談や生活相談のテントをこわごわ覗くひと。
家のなかではないけれど、幸福な家庭の食後に漂う「ごちそうさま。さて、これからどうしようかね」といった、ゆるゆる、のんびりした空気が、公園のなかに漂っていました。
数時間前の調理場で、OさんとSさんが口をそろえて「路上には絶対に戻りたくない」とおっしゃっていたことを思い出しました。
そうして、今、自分の目の前にいる、この食後の余韻を味わっている人々が、このあと、また路上で眠るのだと気づき、泣きそうになりました。
私たちおとなは、かつて彼らを「浮浪者」と呼んで「区別」をしました。

ふつうに生活をしていれば路上暮らしなんてするはずないでしょ、自分で何かやったんでしょ、自己責任でしょ。そんな非難の心を込めて「区別」をしました。「浮浪者」と「区別」をすることで、差別をしている自分たちを正当化しようとしたのです。

でも、と思うのです。その区別の境界線は今も、路上と屋内でしょうか。

木や鉄の家に住んでいるのに、貧しい人・富める人の格差はどんどん広がり、一部の富める人の豪華な住まいやドレス、食事をInstagramで眺めて溜め息をつく、溜め息をついているだけだとみじめになるから自分の暮らしのなかのささやかな贅沢を高機能になったスマホで撮影加工してSNSに投稿する。めんどくさいことはなるべく考えないようにして、意見もしないようにして、とりあえず今は大丈夫っぽいから大丈夫と言い聞かせているその足もとに、なんだかヤバそうな空気がひたひた迫っているのを、感じているけど感じないふり、それとも感じることができなくなっている。

木や鉄の家に眠らない彼らを「浮浪者」=「浮浪する者」とカテゴライズした私たちは今、私たち自身の生活の足もとが崩れはじめ、ずぶずぶぬかるんできていることに、どの程度気づいているのでしょう。貧困も環境問題も政治も、次の世代に先送りし続けて、ああ良い人生だったと死ねるのでしょうか。
路上で眠る人々の総数はたしかに減ったのでしょう。でも、格差は、貧困は、家のなかで眠る人々の身の上ですでに起きているのではないでしょうか。
ふらふら、ふらふら、浮浪しているのは、路上に生きる彼らではなく、家のなかで眠る私たちのほうなのかもしれません。

(谷村紀久代)

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