7/11 炊き出しボランティア日記

暑い!

梅雨明けはまだなのですが、
午前中から、夏の日差しが調理場に注いでいます。
熱中症の予防ということもあり、
日除けのテントを設営します。

今日は、調理場をお借りしているお寺で、
前日まで行われていたお祭りの
後片付けが終わってから、調理作業に入るということで、
いつもより調理に掛ける時間が取れない事もあり、
「ぶっかけ飯は」は止めて、「レトルトカレー」を提供する予定となっていました。

ところが、連絡の手違いで、野菜が到着。
急遽、汁を作ることに。コアスタッフ、新規ボランティアさんが少ない中で、
いつもの2/3程度の量ですが、何とか時間までに
仕上げることが出来、一同ほっと胸を撫でおろした次第です。

でも疲れました。

公園の配食では、
いつもより少ない汁は当然のごとく、売り切れとなり、
結局、レトルトカレーの出番となりました。
モスクさんのカレーとは比べものにもなりませんが、
暑い日のカレーもなかなか美味だったのでは・・・。

私事ですが・・・。

6/27,28に高校の時の修学旅行以来、40数年ぶりに、
広島を訪れました。原爆ドームも観てきました。

目的は、観光ではなく、寄せ場の日雇い労働者の運動の活動家
であった船本州冶の「船本州冶決起40年・生誕70年祭」」
というシンポに参加するため。
山谷の現闘委、釜ヶ崎の釜共闘の活動家であった
船本州冶は山谷、釜ヶ崎で、日雇い労働に携わりながら、先鋭的な運動を現場で
組織していたのですが、釜ヶ崎の愛隣センターの爆破事件のデッチ上げで、
全国指名手配され、1975年、沖縄で皇太子来沖反対で焼身決起します。

シンポでは、船本州冶の29年の生の軌跡と、思想の核である「流動的下層労働者」
(相対的過剰人口-産業予備軍)の現場闘争という考え方が、「流動的」な
非正規労働者・派遣労働者が増え続けている現在の状況に、どのように活かされるのか?
というようなことが多面的に提起されていました。てのはしの活動と重なる部分は、
部分的にしかないのですが、久々に「左翼」の硬質な言葉を聞きながら、
支援の中ではあまり語られることのない
”資本制社会の構造”が、てのはしが取り組んでいる問題・課題の”根底”にはある、ということを
今更ながら考えさせられました。

シンポでは、ジンタラムータ(大熊ワタルというミュージシャンのバンド)という
バンドのライブもあったのですが、
民衆の闘いの中から生まれた心震わす曲を力強く、かつ軽やかに
演奏していました。ビールがよく進みました。

                                     

  

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