tenohasiに路上生活当事者がボランティア参加している意義 上

 TENOHASIは、路上生活当事者と一般支援者が共に活動する形態を長くとりながら、そのことに関する議論がなぜか深まらない。メンバーの大半は、ただ両者が何となく仲良く一緒やっていければ、それで良いという思いで了解をしているのであろうか?
 しかし、私のようなタイプの人間は、それだけでは気持ちがすっきりと収まらない。そして今後とも両者の関係がうまく発展していくためには、なるべく具体的に問題提起することも必要かと思い、あえて当事者グループがボランティア活動に参加する意義を考えてみた。
 本来、ボランティア活動は援助主体と援助客体の関係が、シンメトリーであることが理想であると私は考えている。二者の関係は、強者が弱者を救済するというような上下の関係ではなく、彼らの痛みを共感できる並列の関係作りを目指すべきものと思う。
 このような横の関係の中でこそ、支援団体から受ける援助はスティグマ(恥辱的烙印)ではなくなる(ホームレスに対して差別的な考え方をするホームレスに対しては逆効果となるが)。それは活動家や専門家的な視点の援助ではなく、当事者の援助は同じ問題を持った、痛み/悲しみを共有(共感ではない)できる仲間としての援助になる。その意味において、当事者が「援助対象者」ではなく、「援助実践者」としてボランティア活動を行うことは、団体に様々な良い効果をもたらしてくれるのではないかと思っている。
 しかし、注意しなければならないことは、当事者が支援する立場になったときに「自分が「対象者」より上に立ったと勘違いするものが出ることである。これでは、当事者が「実践者」になる意義が失われてしまう。当事者は当事者のままで、同じ問題を抱えたものとして「対象者」に接することに良さがある。専門家のように、「対象者」をクライアント(相談者)としてみるのではなく、仲間として支え合うことに意義がある。

(路上のコラムニストX) 

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