当事者と支援者が団体運営に対等に関わるためには、共通の情報(質・量とも)と、共通のコミュニケーションの場が必要になる。だが、E.メールや携帯等が日常化している現状では、会議の場での発言権・議決権は対等であっても、その前提環境は対等ではない。私もパソコンを使える場(1日30分限定)に巡り会うまでは、E.メールはもちろんだが、TENOHASIのホームページもブログも見たことはなかった。
情報を発信することについては、自分のパソコンを持てない生活環境では、現在も出来ないでいる。(註:この投稿は代理人が行っています)
そのために私は、手書きの原稿をいつも書いている。しかし、発信の場が限られる。
ブログに投稿するにしても、ボランティア仲間の誰かに入力をしてもらわなければならない、ということが問題になる。
また、当事者と支援者が対等に責務を負ってゆく上での障害は他にもある。
家もない、金もない、明日は寝る場所さえ失うかもしれない、という不安定な生活の中で、ボランティア活動に参加し、自分に課せられた責務を遂行することは、普通に生活が成立している人には想像しがたい困難が伴う。
メンバー個々の能力に配慮して、うまく業務が配分できればよいのだが、当事者と一般生活者は生活レベル(社会的諸権利も含む)に差が極端にあるため、作業配分そのものが難易度が高いと言える。
TENOHASIが今後も、当事者/支援者の区別なく、対等に責務を負って運営していくことを、団体の目標として目指すならば、以上のような当事者が活動に参加する上での長所・短所を考慮する事が必要であろう。
このテーマは、TENOHASIが目指す試みとしての意義は十分にある。
団体を次のレベルに進めるために。
(路上のコラムニストX)